hiroshi-satow’s diary

市井の思索家です。

プラトンからウィトゲンシュタインへ

プラトンの「ラケス」の主題とウィトゲンシュタインの思想的変遷が不思議に符合する。

 

「ラケス」では、勇気の定義がその主題なのだが、筆者たるプラトンは対話者の一人をしてこんなふうに言わせている。勇気の定義なんてお茶の子さいさいだと思っていたのに、いざしようとなると、これまたサッパリわからなんだ、と(194b)。そこでソクラテスのお出ましなのだが、この西洋思想史上一、二を争う偉人とて、最後の最後には「勇気が何であるかを我々は発見しなかった」と途方に暮れる始末だ(199e)。

 

この偉人は英雄でもあって、自分が参加した戦闘が敗北した際には、沈着と冷静をずっと保っており、アテネ人の尊敬を勝ち取っている(181b)。思索家ながらも、行動の人としてこの上なく勇気があったのだ。

 

つまり、ソクラテスは勇気の定義は失敗に帰したが、それでも勇気を示すことなら容易にできたのだ。

 

さて、ウィトゲンシュタインだが、「哲学探究」にはアウグスティヌスの言語観を手短にまとめて言う、単語はモノの名前であり文は名前をつないだものだ、と(1)。これはウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」の立場を要約したものでもある(例の写像理論だ)。これを「哲学探究」でウィトゲンシュタインは批判するのだ、八百屋で客に「赤いリンゴを5個お願いします」と言われたら、八百屋はただ赤いリンゴを5個客に差し出せばいい、そんなふうにプリミティブでいい、単語の意味なんてまったく問題ではない、と(1)。単語の意味はむしろ言葉の使用方法なのだ、と(43)。

 

この「論理哲学論考」から「哲学探究」への変遷がプラトンの「ラケス」の内容と符合するのだ。だって、ソクラテスは勇気の定義はできなかったのに、勇気の使用方法はちゃんと知っていたのだから。古代の「ラケス」が2000年以上も経て「哲学探究」へと結実したのだ。不思議なもんだね、哲学って。