hiroshi-satow’s diary

市井の思索家です。

私の常民論

私の考えるところの「常民」について備忘録的に書き殴る。柳田国男の常民には明確な定義がなさそうだが、私はこんなふうに自由に考えている。

 

・常民とは、伝統的諸観念に安住しており、その中でも特に良質なる道徳的宗教的観念を、理解というよりは体得している者をいう。従って、どちらかといえば保守的だ。

 

・常民は、学識はなく、どちらかといえば無学であり、日々を労働に打ち込み、労働を通して物事を学ぶ。

 

・常民は、たいていは声高な政治的主張はせず(そうすれば常民というよりは大衆や民衆となる)、自らの分限を守り、非党派的であり、非分断的だ。今日のSNS社会では、例えばツィッターなどでは「いいね」くらいはするかもしれないが、積極的な政治的社会的主張は、どちらかといえば控え目であり、いわゆるサイレント・マジョリティを構成する。論語の言葉でいえば、「同じて和せず」ではなくて「和して同ぜず」となる。

 

モンテーニュが見て感嘆した農民は、病気や老齢でもう数日後には死ぬと知りながらも泰然自若としていたその姿だった。常民は哲学者すら容易でない死の恐怖をごく普通に克服している。

 

・イエスはしばしば聖書で単純ながらも善良なる常民を誉めている。法華経における常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)、仏教における周梨槃特(しゅりはんどく)なども常民と言えそうだ。そして「雨ニモマケズ」と唱えた宮沢賢治、自らを常不軽菩薩になぞらえていたとも言われるこの詩人も、いわば常民かもしれない。

 

ソクラテスは専門の哲学者やソフィストでなく、その話には常に卑近な例が持ち出され、貧しい一庶民であり、本を書いたこともなく、常民といえば常民だ。

 

法然は、お経はいらず、お香もいらず、仏壇も仏像もいらず、ただ念仏だけでよく、自らを無知無学の民と同じ立場に置け、と訴えている。親鸞は遥々その教えを聞きに来た者に対して、私はただ念仏を称えよといった法然の教え以外は何も知らないと述べている。道元法然に似て、お経もいらず、お香もいらず、仏壇も仏像もいらず、ただ坐禅さえすれば、無知無学といえども悟りを開く、と説く。いずれも常民志向と言えそうだ。

 

・規範を説明できず根拠も示せないが(学識を欠くので)、それでも規範について語ることはできるし自ら示すこともできるのが常民だ。そういえば、ソクラテスは勇気を定義できなかったが示すことは容易にできた。彼もまた常民だ。

 

・リヒャルト・デーメルなる詩人には「海の鐘」という作品があるが、私が千の言葉を費やして論じるよりも、ずっと常民の本質を伝えている。少し長いが引用しよう。

 

海の鐘

 

漁師が賢い倅(せがれ)を二人持つてゐた。

それに歌を歌つて聞かせた。

「海に漂つてゐる不思議な鐘がある。

その鐘の音を聞くのが

素直な心にはひどく嬉しい。」

 

一人の倅が今一人の倅に云つた、

「お父つさんはそろそろ子供に帰る。

あんな馬鹿な歌をいつまでも歌つてゐるのは何事だ。

己は船で随分度々暴風(あらし)の音を聞いた。

だがつひぞ不思議な鐘は聞かぬ。」

 

今一人が云つた。「己達(おれたち)はまだ若い。

お父つあんの歌は深い記念から出てゐる。

大きい海を底まで知るには

沢山航海をしなくてはならぬと思ふ。

そしたらその鐘の音が聞こえるかも知れぬ。」

 

そのうち親父が死んだので、

二人は明るい褐色(かちいろ)の髪をして海へ漕ぎ出した。

さて白髪になつた二人が

或る晩港で落ち合つて、

不思議な鐘の事を思ひ出した。

 

一人は老い込んで、不機嫌にかう云つた。

「己は海も海の力も知つてゐる。

己は体を台なしにするまで海で働いた。

随分儲けたことはあるが、

鐘の鳴るのは聞かなんだ。」

 

今一人はかう云ふて、若やかに微笑んだ。

「己は記念の外には儲けなんだ。

海に漂つてゐる不思議な鐘がある。

その鐘の音を聞くのが

素直な心にはひどく嬉しい。」

 

 

 

常民は仕事を通して学ぶ。金儲けよりも記念を得る。その記念は伝統的宗教と親和性が高いが、そのくせ如何なる既成宗教の教えとも異なる。常民は素直で若々しい。おそらくは誠実で真摯に生きている者が高齢になって始めて真の常民となる。