hiroshi-satow’s diary

市井の思索家です。

罵倒詩

どういった時に人は罵倒するだろうか。感情が昂ぶった時だ。どういった時に昂ぶるのか。愛や憎しみを強く感じる時だ。では、人はいつ愛や憎しみがとりわけ昂ぶるのか。いろいろあるだろうが、ここではこういうふうに言おう。愛する者や憎んでいる者が死んだ時だ、と。興味深いのは、愛と憎しみは相反する情熱であるのに、どちらも同じ行為へと結実することだ。読者よ、愛する者を亡くした経験があるだろうか。読者がもし男性ならば、そんな際にふと心に罵倒表現が思い浮かばなかっただろうか、「あの馬鹿め」「阿呆が」などと。これは愛情の裏返しだ。

 

自分が無関心な人が亡くなっても特に心は動揺しない。自分が心から憎む者が死ねばある種の感動を生じ、それが言語化されて「馬鹿め」なんぞと口に出すかもしれない。奇妙にも、深浅あれども愛する者を亡くした時にも、人によっては「阿呆めが」などの言葉が思わず知らず洩れることがある。私がそうだった。彼女は私が深く愛する人だった。それが事故死などをするなんて。どうしてもっと生きてくれなかったのか。どうしてあまりにも若すぎる死を死んだのか。悔しいではないか。苦しいではないか。これが罵倒に結実するのだ。罵倒語は深い思いの顕れであって、その思いは愛憎を問わないようだ。そしてこの罵倒が詩になることがあるのだ。

 

といっても、そう数は多くない。まず高村光太郎の「村山槐多」を挙げよう。

 

「村山槐多」

 

槐多は下駄でがたがた上がつて来た。

又がたがた下駄をぬぐと、

今度はまつ赤な裸足で上つて来た。

風袋(かざぶくろ)のやうな大きな懐からくしやくしやの紙を出した。

黒チヨオクの「令嬢と乞食」。

いつでも一ぱいに汗をかいてゐる肉塊槐多。

五臓六腑に脳細胞を偏在させた槐多。

強くて火だるた槐多。

無限に渇したインポテンツ。

 

「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」

「居るよ。」

「僕は眼がつぶれたら自殺しますよ。」

眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。

自然と人間の饒多(げうた)の中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。

 

 

 

これは必ずしも罵倒とは言えぬかもしれないが、最終行に注目されたし。「野たれ時にした若者槐多よ、槐多よ。」だ。この「野たれ死に」が罵倒語になる。高村光太郎は村山槐多なる画家にして詩人を深く愛していた。その激烈、その求道。村山の画風や詩風は高村のそれとは異なっていたかもしれない。しかしその強烈なる精神は高村の深く共鳴するところだった。それが死んだ。若くして野垂れ死んだ。高村は深く動揺した。かくも才能豊かなる若者がどうして死んだのだ、と嘆いた。その思いが罵倒となった。

 

次に、これはどうかとも思わぬではないが、宮沢賢治の「岩手山」だ。

 

岩手山

 

そらの散乱反射のなかに

古ぼけて黒くえぐるもの

ひかりの微塵系列の底に

きたなくしろく澱むもの

 

 

 

この詩の背景を私は知らぬ。私の解釈は間違っているやもしれぬ。それでも言わせてもらおう。宮沢は岩手山を深く愛していた。その山が今日はどうしてか汚くて黒く澱んでいる。どうして我が愛しの山がかくも醜いのか。詩人はかく嘆き、その強い愛着の思いが罵倒となって現れたのが「きたなくしろく澱むもの」なる最終行だ。思いが深いからこそ、強い感情となって詩人の筆を揺り動かし、詩人は知らず罵倒するのだ。罵倒は愛情の裏返しなのだ。