hiroshi-satow’s diary

市井の思索家です。

2023-01-01から1年間の記事一覧

鴎外の「ヴィタ・セクスアリス」断章

鴎外を動かしこの小説を書かしめたのは情熱でも苦悩でもなく好奇心だ。主人公の金井は科学者さながら自己を振り返り、観察し、記録する。そして作中に描かれる過去の金井もまた性的事象を科学者のように冷徹に見聞し、自ら体験し、記録する。そこがこの作品…

私の常民論

私の考えるところの「常民」について備忘録的に書き殴る。柳田国男の常民には明確な定義がなさそうだが、私はこんなふうに自由に考えている。 ・常民とは、伝統的諸観念に安住しており、その中でも特に良質なる道徳的宗教的観念を、理解というよりは体得して…

田山花袋を巡って

・島村抱月の「蒲団」評 島村抱月は『「蒲団」評』で言う。 1)従来のきれい事しか言わない小説と比べれば、「芸術品らしくない」この小説はその限界を打破したものとして評価できるが、しかし同時に芸術品らしくないというまさにその点で弊害もある。 2)主人公の…

「少女病」から「蒲団」へ ―田山花袋小論

「少女病」(1907)から「蒲団」(1907)へ。ここには作者田山花袋のロマンチシズムからリアリズムへの脱皮が見られ、作家としての成長も見受けられ、同時に恋愛のいわば進化も見られる。ここでは、そういったことについてちょっとばかり筆を滑らせてみよう。 田山花…

田山花袋の二つの自然

自然には二つの意味がある。その二つの意味合いは田山花袋の代表作「蒲団」、並びに晩年の好短編「一兵卒」において確認できる。 自然概念について言えば、その意味するところは、一つは生き生きと生きたいとする生の欲望であり、そのために「蒲団」では枯れか…

プラトンからウィトゲンシュタインへ

プラトンの「ラケス」の主題とウィトゲンシュタインの思想的変遷が不思議に符合する。 「ラケス」では、勇気の定義がその主題なのだが、筆者たるプラトンは対話者の一人をしてこんなふうに言わせている。勇気の定義なんてお茶の子さいさいだと思っていたのに…

罵倒詩

どういった時に人は罵倒するだろうか。感情が昂ぶった時だ。どういった時に昂ぶるのか。愛や憎しみを強く感じる時だ。では、人はいつ愛や憎しみがとりわけ昂ぶるのか。いろいろあるだろうが、ここではこういうふうに言おう。愛する者や憎んでいる者が死んだ…

田山花袋の「蒲団」に関する省察(1)

主人公の竹中時雄は三十代半ばの妻子ある作家であり、ある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯の手伝いをしている。三年前に三人目の子ができ、新婚の快楽はとうに尽き、社会と深く関わって忙しいでなく、大作に取り掛かろうという気力もない。朝起きて出勤…

単純系と複雑系

単純系と複雑系について思いついたことを書き殴る。以下に書き記すことが正しいかどうかは分からない。今後の検討に委ねられよう。結論としては、自然科学と理論は単純系であるが、人文科学と生活世界は複雑系だ、ということになる。 前期ウィトゲンシュタイ…

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自己宣伝です。市井の思索家であり文芸を批評する者であり詩人です。職業としては家庭教師であり予備校講師であって(オンラインでも対面でも)、英語並びに倫理を教えています。物を書いて売りたいという熱望を抱いています。五十路です。一人の妻と三匹の…